ご祭神
二宮尊徳命 (にのみやそんとく)
二宮金次郎(金治郎)天明七年(1787)〜安政三年(1856)
江戸後期の実践的農政家。
天明7年(1787)、相模国(神奈川県小田原市)の豊かな農家に生まれましたが、
幼少時に家が没落し、両親とも死別して兄弟はばらばらに親戚の家に預けられました。
一家を再興するために一生懸命働きながら勉強し、創意工夫を重ねてお金を貯め、田畑を少しずつ買い戻していきました。
薪を担いで、本を読んでいる姿の少年金次郎像のイメージはそのころのものです。
やがて24歳までに家を再興させた金次郎は、その体験を生かし小田原藩家老の財政再建を手掛け、五年で成功させました。
千余両の借金を完済し、300両の余裕金ができたといいます。
金次郎はその時、100両の報酬は一切受け取らず、「これも使用人の協力のおかげだから」といって、使用人たちに分け与えたそうです。
この服部家の再建で金次郎の名声は上がり、小田原藩桜町領(栃木県二宮町)復興をはじめ、
600ヶ村以上の村や藩の財政再建・復興をてがけました。
尊徳命の考え方や方法は報徳仕法と呼ばれ、豊田佐吉・松下幸之助・御木本幸吉といった明治大正の政治経済に携わる 人々の
精神的支柱となり人々に大きな影響を与えました。
◆ご利益
学業成就(合格)・商売繁盛(経営)・災難厄除・出世財福
少年 金次郎像のイメージから、学問の神様として親しまれていますが、
借金返済・資産運用を行い、財政再建や農村復興を行ったことから、経営、財福、商売繁盛などお金に関する神様として信仰されています。
農民から武士となった尊徳命は、開運出世のご利益もあります。
◆配祀神
- 二宮尊行命 尊徳嫡子 (にのみやそんこう)
- 冨田高慶命 (尊徳高弟) (とみたこうけい)
--- 二宮尊行 ---
1821年(文政4年)生まれ、
父、尊徳の元で報徳仕法を学び、父の死後日光仕法を引継ぐ。
--- 富田高慶 ---
尊徳の高弟。4大門人のひとり。『報徳記』の著者
尊徳の片腕として、報徳仕法をささえ、日光仕法・相馬仕法に従事。
▲up
◆由緒
- 明治二十六年起工
- 同三一年に鎮座祭を執行
- 同三三年に県社に列せられる
ご祭神・二宮尊徳は今市の報徳役所にて逝去しました。
その後、尊徳の終焉の地である由緒を持つ今市に神社が創建され、
今日まで学問・経営の神様として人々に親しまれています。
本殿の裏には栃木県指定史跡・尊徳翁のお墓と遺品を陳列した宝物館があります。
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